2017年6月6日火曜日
[133] Mushi & Lakansyel - Koté Ou?
Label: Granit Records
Catalog#: GR002
Format: Vinyl, LP, Album
Country: France
Released: 2017 (1983)
DISCOGS
A1 Port Salut 7:15
A2 Sab Lan Mé 5:10
A3 Distances 8:20
B1 Kalalou 9:45
B2 Tout S'En Va 3:10
B3 Saut Mathurine 5:25
B4 Koté Ou? 5:15
祖父はハイチでジャズを初めてレコーディングしたRicardo Widmaier、父は伝説的シンガーでラジオ局メトロポールの創設者Herbert Widmaierというジャズ音楽一家に生まれ育った、ドラマー兼シンガーJoël Widmaier(ジョエル・ウィドマイヤー)とピアニストMushy Widmaier(ムシー・ウィドマイヤー)。その兄弟が中心になって1982年にポルトープランスで結成、当地のダンス・ミュージック=コンパとジャズ、ファンクを融合し、新世代ジャズシーンを先導したグループがZèklè(ゼクレ)とLakansyel(ラカンシエル)。名前はそれぞれ「光」と「虹」の意。2つのグループは、ウィドマイヤー兄弟が作曲、Ralph Boncyが作詞、その他のレコーディング・メンバーも多くが共通していますが、ジョエル主導の「Joël + Zèklè」がダンスシーンにアピールするポップなサウンドであったのに対して、ムシー主導のLakansyel名義でリリースされたこの「Koté Ou?」は、彼らが共感していたECM、特にPat Methenyを思わせるコンテンポラリー・ジャズ/フュージョンを指向したアルバム。ピアノ、ホーン、ストリングスシンセのアレンジによって作り込まれた洗練されたバンドアンサンブルと、切なげに歌い上げるジョエルのボーカル曲。女性が浜辺を一人歩くカバー写真の世界観そのままに、メランコリックで甘美なサウンドを打ち立てた、現役クレヨール・ジャズ名手の初期名演を、フランスのレーベルGranit Recordsが34年振りにヴァイナルでリイシュー。リリースは6月予定。
「Koté Ou?」プロジェクトは感情的に瞬間や場所と結びついています。2人の友人PhillipeとChantal Simpsonはレカイへの旅行中に "La Nationale No 2" で命を落としました。Phillipeは、Ralph Boncy、Joël、Raoul Denis Jrと私でレーベルZèklè Musicを立ち上げた最初のメンバーでした。当時、音楽シーンには変化が必要で、Zèklè Musicはその変化をサポートする革命的なプラットフォームでした。Zèklèは別のアプローチをとっていました。その音楽はメインストリームから外れていました。Zèklèのミュージシャンのほとんどは、共通する音楽的な価値観をもって集まりました。私たちの音楽は、クラシック、コンパ、フォーク、ロック、ソフトロック、ポップス、ブラジル音楽、フランス音楽など、音楽教育とバックグラウンドの影響から生まれました。ジャズは私たちの世界にありふれていました。Herby Widmaier、Frantz Courtois、Gerald Merceronからの影響も、私たちのスキルを磨くうえで重要でした。グループの3人のメンバーはハイチのラジオ局周辺で働いていました。ラジオでプレイされる多数の異文化音楽のスタイルは、私たちの地理的条件から直接与えられた遺産であり、私たちの歴史から生じた文化的二元性でした。私たちにとって音楽に国境はなく、それよりも「好きか、そうではないか」というだけで、その評価基準はグループ国籍や人種とは無関係でした。Zèklèのファーストアルバムがリリースされたとき、私たちは批評家から「カリブのウェザーリポート」と呼ばれ、それは私たちの曲「Caribean Report」に繋がりました。一方、国際的なジャズシーンでは、私たちはECMレーベルによりプロモーションされる新しいスタイルの登場に注目していました。それはジャズの分野でよく知られていますが、彼らにはモットーがありました。Pat Metheny、Keith Jarret、Mal Waldron、Gary Burton、Paul Motian、Charlie Haden、Jan Garbarekらの「沈黙の次に美しい音」は、共通の美学的な枠組みを共有していました。クリスピーなニュアンスのあるレコーディング・サウンドと、ほとんど "スウィング" しないアーティストのオリジナル楽曲。Nana Vasconscelos、Egberto Gismonti、Anouar Brahemのようなワールド・ミュージックとの明確なリンクがあり、批評家は "ニューエイジ・ミュージック" の先駆けと評しました。Herby Widmaierとハイチの時代にスタジオで録音されたMarius Cultier(Mazurka-beguine)や、Ralph Tamarと一緒に録音されたMariusの2枚目のアルバム(Tamarにとって初録音)のような、カリブの仲間達からの影響も忘れられません。私は個人的に、Mariusがカリブのクレヨールジャズの偉大な作曲家でありピアニストだと思います。結論として、ZèklèとLakansyelは同じ屋根の下にある異なるプロジェクトの名前です。前者は商業的なポップロック指向で、後者はよりジャズやワールドミュージックに基づいています。これら2つの流れは後に合流しました。Zèklèの最新アルバム「San Mele」では、ZèklèとLakansyelは1つになり、私たちがクレヨール・ジャズと呼ぶものに近くなりました。 - ムシー・ウィドマイヤー ▲
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[related] グアドループ島のラジオ局Luc Michaux-Vignesの音楽プログラム「Mundo Afro-Latino」で、ウィドマイヤー兄弟をゲストに迎えたZèklèとLakansyelの特集回。1987年放送。